東京
「人間の原型」と山内はいう。なぜなのか彼は、人の姿形や挙止にせよ、街の相貌にせよ、写し止める一瞬がその人や街を恒久に語っ てやまない芯部(密度)に、引き寄せられ、動かされ続けているのだ。被写体人物の居住区は、撮影者の興味に従って都市部に限られているが、それにしても此 処に集められた彼らは、固有の時代や地域に特定される不自由さをいったん、脱ぎ捨てている。こんな人も、あんな人もいる世界に、こんな顔、あんな顔は、別 の時代、別の地域にもいただろうし、これからだって生まれてくる。個人の感情の振れや好悪の内規が、彼らの存在様式の筋金なのだ。自作を数枚卓に広げ、虚脱放心した人のポートレートを見やり、「こんな顔が増えてきたから、香港へ(撮りに)向かった」と、山内は話す。主題に接触する被写体の捕獲は、誰に教わ るのでも、押し付けられるのでもない、自分が好きこのみ、嗅ぎ付け、進んで行う表現者の性だ。時代や世代は背後から不覚に、だらりと垂れた布の端が、押し 寄せられ、皺になるように形成されてくる。彼の反応した「顔」の数々が、増補・改訂版・現代人の原型として付置された一世界の地図。観る者はそこに、並ぶ ことも、住まうことも、覗くだけして通過することも、いやもちろん、自分はこんな中には収まらない抗うことも、まるで無関心に無視することだってできる。 だがおよそ作家と名の付く者の野望とは、作品が作者の庭を飛び出して、観る者に迫り「ここにあることは、自分と無縁ではない。これには負けた」、そう口惜 しそうに呟かせることなのではないだろうか。
ー淡海千景「山内道雄、ものいわぬ随伴者たちと」より
- 判型
- 226 x 184 x 16 mm
- 頁数
- 144頁
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2003