東京慕情/昨日の昭和 1949-1970
このシリーズを2014年に組んだとき、平田は次のように書き記しています。
友人のジャバラ式カメラを借りて、初めて写真を撮ったのは、大戦(東京空襲)の傷痕を残した永田町のドイツ大使館跡(現在の国立国会図書館)であった。その後、戦後最初の国産カメラと銘打って発売されたリコーフレックスを肩に、1950年代から70年代の東京の街を歩き、シャッターを切った。
戦災の影濃い汚れて暗い東京の街々だったが、立ち行く市民の姿は、皆、明日を目指して、平和な街々で明るく輝いていた。
主に歩いたのは、東京ド真中の銀座4丁目界隈。さらに、隅田川畔の月島〜佃島、そして風物「佃の渡し」。足をのばして新宿西口〜南・東口一帯。住まいの街を起点に渋谷、東横線沿線の自由ヶ丘、学芸大、奥沢の路地等々。住民の姿・風物を中心に、懐かしく慕情溢れる写真を撮影した。
リアリズム写真が台頭した1950年代より、フリーのフォトジャーナリストとして活動を始めた平田実は、東京の街や風物、人々を被写体に撮影を行いました。戦後間もない東京では、進駐軍の靴磨きや路上で立ち売りをする人の姿も見受けられ、平田は社会の現実と向き合いながらも、未来への希望に満ちた街の空気を彼らのたくましく生きる姿に見出し、写真に捉えました。紙芝居や縁日に目を輝かせる子供たちへ親しみのこもった眼差しを向け、ちんどん屋や芸妓神輿など、やがて時代の中で変わり、消えゆくかもしれない風物の哀愁を帯びた情景を取材した作品群は、時代の情緒を色濃く写し取っています。
その後、60年代の前衛芸術家のパフォーマンスを臨場感と記録性を兼ね備えた作品に定着させ、単なる記録者を越えた対象との「共生」による表現を追求した後、平田は70年代に再び東京の街へと目を向けます。都市開発事業の中心として高層ビルの建築が進む新宿で、日々変化する街並みと人々の様子を記録した写真は、50年代の東京を写した写真とあわせ、「東京慕情/昨日の昭和 1949-1970」シリーズとして纏められました。
― 出版社説明文より
- 判型
- 210 × 148 mm
- 頁数
- 72頁、掲載作品36点
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2019
- 言語
- 英語、日本語