Self-image (C)
風の中落ちるどんぐりの音
蜷川幸雄
写真を撮られるのは嫌じゃないが、自分の映った写真を見るのは嫌いだ。それは私が恥をうまく処理出来ないからだろう。自画像を撮る写真家はどのように自意識を処理しているのかといつも思う。
蜷川実花の撮る自画像はそういった悩みの片鱗も見せない。写真家が自身のポートレートを撮る時、被写体である自身と撮影者である自身とを意識するのは自然であろう。そして、そこに写真家の自意識との戦いを垣間みて、写真を見るものにある種の重圧がのしかかるのもまた真実である。
蜷川実花の作品には、そのみる者への負荷がない事に私は安堵した。
暗いグラデーションの影から覗く彼女の視線を見て、裏にある意図を理解しようとする心を私は慌てて閉ざす。理由は単純、娘の内なる生命が貫かれたところなど誰が見たいのか。それは私が恐れ、逃避し続けるものだ。その代わりに私は彼女の直感と、瞬間瞬間から選択する彼女の写真家としての度量は認知している。彼女には、どの瞬間にシャッターを押すか、本能で理解しているのかも知れない。彼女の才能は、その自然で動物的な本能にあると言えるであろう。
だらしのない写真は嫌いだ。私の喜びは息を呑むような緊張の中にある。私が生きがいを見つけた演劇も、そういった緊張の連続であり、それゆえに弛緩した仕事は耐えられないのだろう。それを不快に思う人もいるだろうが、私にはどうしようもないことだ。人間の本質は、世界の捉え方と、自身との折り合いの付け方の中で表れるものだ。
風の中落ちるどんぐりは、今年も騒音をたてる。バルコニーや落ち葉の上に落ちる時にたてる音に、私はいらいらする。蜷川実花のSelf-Imageのゲラ刷りを閉じる。庭の一角で風の中揺れているブランコは、実花が小さいころ遊んでいたものだ。私は、子の内なる世界と肉体を遠景へと押そうとする。
- 判型
- 300 x 220 mm
- 頁数
- 88頁、写真作品45点
- 製本
- ハードカバー
- 発行年
- 2013
- エディション
- 1500
- M label No.29