サボテンとしっぽ
ぎゅうぎゅうの満員電車に揺られながら、車内に漂う空気が目に見えたら面白いだろうな、とぼんやり妄想していた。
水族館の水槽の中でサカナたちが身をひるがえすたびに、水がゆらゆら揺れるように、閉ざされた箱の車両の中で、人のかすかな息が混じり合い、空気の流れが波動となって伝わっていく。
メダカのように、クラゲのように、人のカラダも透けていたら、人間関係もまた違った風になっていくのでは、とも思ったりした。
それからしばらくして勤めを辞め、あちこち旅をするようになった。
旅先でいつも目の前に現れたのは、煙突やサボテン、トタン塀や電信柱やアロエなど、町の片隅でしずかに深呼吸する古びた建物や、ちょっととぼけたモノたちだった。
そんなモノたちに、道案内をしてもらいながら歩く目的地のない散歩は、気持ちがほどけてゆくようで、さわさわと気持ちよく、まがり角を曲がるたびにわくわくした。
そこでは虫も草も魚も花も、生命のあるものもないものも、音も無くにぎやかにうごめいていて、はじめて来たのにどこか懐かしく、知らないのに知っているような、不思議な感情がやってくるのだった。
ほころびた景色の中で、迷って道がわからなくなったときも歩き続け、どんどん町からはぐれていった。
明るく、はぐれてしまったのだった。
― 白石ちえこ、あとがきより
- 判型
- 200 x 264 mm
- 頁数
- 64頁、掲載作品52点
- 製本
- ハードカバー
- 発行年
- 2008
- 言語
- 日本語