抵抗 カラー補足版
私はとにかく何にでも反抗する人間だった。いま考えるとよく高校を卒業出来たと思うほど先生の言うことを聞かなかった。大学へ進んでからもそれはつづいて、暗室実習の時に着る白衣は、学校で買わされた時に一度着ただけで後は一度も着なかった。現像は温度計と計量カップを使わずに、すべて目分量でやった。それでも写真は出来た。そんな写真が少しづつ気に入りははじめていた。
一九六四年十一月七日、アメリカ原子力潜水艦横須賀寄港に反対した全学連の闘争を撮影した。それは写真学校の教科書に掲載された名作写真とは逆のダメ写真を撮って、それだけで写真集を作ろうとしたのだった。
被写体はピンボケでカメラも手ブレ、フィルムは粗粒子でザラザラなうえに擦り傷だらけ。写真をやめようと決めて、一年以上も高温多湿な場所に放置したので、乳剤面が貼付いてその跡がフィルムに残っていた。普通だと捨てる以外にないフィルムだが、私はそれを写真のマチエールに見立てて、全学連学生のデモを撮影した。
被写体に何故全学連を選んだのかは、学生たちの社会への反抗と私の写真の秩序への反抗を結びつけて、それが写真に定着できるのかを実験してみたのだった。
撮影したフィルムはモノクローム七本で、思いどおりの良いダメ写真が撮れていた。一週間後に写真集を作る目的で、横須賀基地周辺にある米兵相手のバー街をネガカラーで撮影した。
モノクロームで学生たちのデモと機動隊、カラーで横須賀バー街にたむろする米兵たち、それを繰り返すページ構成にするつもりだった。しかし制作費が足りなくなり、部分カラーの写真集印刷はあきらめて、全ページがモノクロームだけの印刷で「抵抗」を自費出版した。
「抵抗」を撮った二〇歳の時から写真家として五〇年、銀塩フィルムと印画紙を使って今まで写真をつづけてきた。しかしここで、分身のように長く連添った銀塩フィルム、印画紙と別れる決心をした。これからは私の写真で、銀塩フィルムによる撮影と印画紙でのオリジナルプリント制作はないということである。私の新しい写真は、すべてデジタルカメラで撮影してデジタルプリントをして、作品は写真集などの印刷物だけになる。
これはずい分覚悟を必要とする決心だったが、五〇年ということがあったので踏切れたのだと思っている。この「抵抗+COLOR 補足版」を出版して、これから写真の再出発をすることにした。
横須賀基地の街をカラーで撮っていたのだが、今までカラーでこの写真を見たことはなかった。 五〇年過ぎてはじめて本来の色付きの写真を見た。私にとっての五〇年とは何だったのかをこれから考えたい。
- 判型
- 294 × 296mm
- 頁数
- 25頁、掲載写真12点
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2015
- エディション
- 限定151部;ナンバー入り