再見鄧南光全集 Rediscovering Deng Nan-Guang Collector's Edition
鄧南光の東京に於ける埋れた写真|by鄧世光(鄧南光の息子)
1994年4月私は父が昭和4年から昭和10年に亘ってライカで撮影した写真60数枚を台湾からわざわざ日本に持って行き、渋谷のドイフォトプラザで公開展覧しました。
この60数の枚埋れた写真は60年間全然公開されなかったので、たちまち日本の各新聞社に採り上げられ掲載、毎日新聞は特集(1994年4月23日)を組んで写真と共に鄧南光を下記のように紹介しています。
『台湾人の写真家、鄧南光さんが残した写真が日本でこのほど初公開される。ネがのまま保存されていた約千枚のなかに60年ほど前の東京が封じ込められていた。昭和7年初め、留学生の鄧さんは女性のスナップで月刊「カメラ」に入選し写真の道にはいった。
写真史ではそれまで芸術写真がドイツの影響を受けた「新興写真」が誕生し、ドキュメンタリーの潮流も起きた時代で鄧さんは大震災から復興した東京と東京人の日常風景を愛用のライカに収めていた。
モダンを合言葉に、都文化が定着した当時、鄧さんは写真で、とりわけ女性たちの表情が輝いているのを撮っている。職業を持ち、オシャレをして、映画ヤレビューを楽しむ元気印の「モガ」新しい女性の時代だった。……以下略』
尚アサヒカメラ1994年5月号では作品紹介の他、下記のように評価しておる。
『台湾出身の鄧南光青年は昭和4年(1929)、法政大学経済学科に入学した。東京がようやく「帝都復興」を遂げたころだった。大正12年(1923)の震災とそれに続く復興作業によって東京は大きく変貌した。ひとことでいえば近世の情緒をとどめた「江戸」が後景に退き、近代都市「東京」が前面に現はれたと云えるだらう。めざましく変貌する東京が青年たちを魅了したことは想像に固くない。鄧青年も例外ではなかった。彼は大学に入学するとカメラ部のメンバーとなった。「アルス‧カメラ」「月刊ライカ」に投稿して何度か作品が誌面を篩った。しかし彼の写真活動はそれだけにとどまらず、銀座や浅草など東京の街を精力的に撮影して歩いた。当時の写真をみると、スナップ撮影や俯瞰撮影からステレオ写真まで試みてあり、多彩な表現を吸収しようと努めていたことがうかがわれる。……以下略』
1994年から早くも20年か立ちました。私は今回更にこの写真を整理し、今迄この写真を見た事もない日本の皆さんに観賞して貰いたいと思い、この特集を製作しました。
- 判型
- 300 x 295 x 80 mm
- 頁数
- 176頁、198頁、240頁
- 言語
- 英語と中国語
- 製本
- 上製本、函付き
- 発行年
- 2013