知覚の感光板
『知覚の感光板』は、19世紀に起こった「写真の誕生」につよい刺激を受けて、それに反応しながら新たな絵画を模索した一連の画家たち--モネ、ドガ、セザンヌなど印象派の画家たちが訪れ制作した場所を、鈴木が巡って撮影した58点の作品から構成されています。
そのテーマのシンプルさから、『知覚の感光板』は、これまでの鈴木作品に親しんできた方はもちろん、写真・アート・表現に関心のあるすべての方が惹き付けられる大きさを湛えた作品集となっています。
しかし、同時に、『知覚の感光板』が、驚異的なまでの緊密さと深さを携えた、鈴木理策のひとつの到達点とも評しうる作品であることはお伝えしておかなくてはなりません。それは、この作品が、鈴木がデビュー以来一貫して持ち続けてきた独自の関心と方法論の結晶とも言えるからです。巻末に寄せた作者自身によるテキスト「知覚の感光板」で、鈴木は次のように書いています。
「カメラという機械による知覚は身体を持たないため、行動のために像を映し出さないという純粋さを持っている。
撮影時に現れているこの純粋さをその後プリントという物質の状態までいかに残すことができるか、それが私の作業のモチーフである。
この純粋さを手に入れられれば、写真を見ることは拡がりだけでなく、深さを持った経験になるのではないか。対象から何事かを感覚し、感応することは深さの経験であり、深さは見るたびに新しく生まれる。」
(鈴木理策「知覚の感光板」より抜粋)
思えば鈴木理策の写真家としての歩みは、知覚の「純粋さ」を追い求める作業の積み重ねだったのかもしれません。
ハンディな中判レンジファインダー機で視差=ズレを持ち込んだ初期作品『KUMANO』『PILES OF TIME』に見られる身体から解放された目の自由で軽快な動き。『MONT SAINTE VICTOIRE』の途中で大判カメラに移行してからの「視覚による知覚」への接近と試行錯誤。
ただの一度として中断されることなく持続された鈴木理策の試みは、「写真の誕生」による絵画のもつ意味の変容と向き合い、「絵画とは何か」と自身に問いながら絵画の可能性を切り拓いた印象派以降の画家たちの歩みと共振しています。芸術家のあるべき姿を表したセザンヌの言葉をタイトルとするこの作品集に収められた58点は、その一点一点が見ることと描く行為への挑戦と深く共振し、写真の可能性や「風景」との向き合い方を真に新しく拓くものと言えるでしょう。
鈴木理策の新たな代表作『知覚の感光板』が全身で伝える「視覚による知覚」の歓びを、ぜひお手にとって体験してください。表紙の布に触れるところから、見尽くせぬイメージの移り変わりが始まります。ご覧になったあと、あなたにとっての写真を見るという経験は、大きく変わっているかもしれません。
「世界は持続し、変化し続けている。」(鈴木理策「知覚の感光板」より抜粋)
― 出版社説明文より
- 判型
- 246 × 342 mm
- 頁数
- 112頁
- 製本
- ハードカバー
- 発行年
- 2020
- 言語
- 英語、日本語
- ISBN
- 978-4-86541-112-6