Toxic
「“己”の現実に対応する者は
“私”しかおらず
己の現実に対して
最善の写真行為を行う者は
私である
現実に縛られながら
現実を解いていく
百年生きても意味はない
己は霊と肉
私は写真に残存する
人は倫理の中で食べている
写真は時に禁忌を食べる
愛がそれを欲する
愛には倫理がない
愛に支配された時
写真は毒となる」
金子文子は抗い続けた人でした。
私が金子文子に出会ったのは、TOXICの制作を進めている頃です。
文子との出会いは私の魂を強烈に揺さぶる出会いでありました。
私の生命力は文子の生命力に激しく呼応し、他者に初めて満足を持って共鳴したのです。
己の霊と肉を分かち他者に共鳴することの歓びを、私は文子との出会いから知り得ました。
TOXICは2005年から2019年の間に撮影し、一度も焼かれずにいたネガたちを焼いたものです。
焼かれずにいたネガたちの”生”は仮死状態のようであり、大切な人たちの死によって喪失していた私の”生”のようでもありました。
私には被写体という概念がありません。
すべては目の前の現実です。
私の写真はその現実と同化し、写真機を通して実存とし、紙に視覚化したものです。
その写真行為は不条理への抗いでもあります。
”一切の現象は現象としては滅しても永遠の実存の中に存続するものと私は思っている”
文子が手記の最後に記した言葉です。
文子との出会いに私の生命力は激しく共鳴し、喪失していた私の”生”と仮死状態のようなネガを蘇らせていきました。
私はその体現に感動しました。
文子の言葉が、事実として永遠の実存の中に存続していたのです。
その事実が私の写真を励まし、蘇った私の”生”によって写真への献身と決意を表明させたのです。
写真に命を懸けるのは勝手です。
誰が選んだ道でもない、自分で選んだ道です。
常に"私"と"己"、すなわち客観的"現実"と主観的"現実"の間で心身を捧げ、目の前の現実と同化し、目に見えない現実を形にすることが私の写真です。
現実は哲学です。
私は、その哲学を信じています。
私の哲学が現世、後世と誰かの心に触れ、伴走者になれたなら本望です。
私は写真でどこまで深く潜れるかに懸けているのです。
理想を追うことが作家の仕事です。
― 殿村任香
*金子文子 1903年生まれ。日本のニヒリスト。大逆罪で起訴され獄中にて23歳で縊死。
- 判型
- 210 × 148 mm
- 頁数
- 88頁、掲載作品41点
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2022
- 言語
- 英語、日本語
- エディション
- 850
- ISBN
- 978-4-910244-19-8