Taratine 垂乳根
横田大輔の写真でまず目を奪われるのはそのテクスチャーである。フィルムの粗い粒子のようであり、表面に散りばめられた埃や髪のようでもある。乳剤そのものが、しばしば限界まで追いつめられているようにみえる: 裂け目、膨れ、焼け焦がしの痕が広がり、驚くべき深度と触覚性を生み出している。
合成部分のいくつもの層を露出することにより、横田は自らの創作物をばらばらにする。そして、イメージではなく写真を見ているのだという事実に、私たちを引き戻していく。横田の介入の方法は写真の心臓切開の手術にも似て、その解剖学を脱構築することで、写真の複雑性と脆さを明らかにしようとする。
これらの作品を見る者は、1960年代後半に日本で活躍した、今や伝説的な世代の写真家との接点を見出さざるを得ないだろう。横田の作品のざらざらとした物質性は、森山大道や中平卓馬など過去の巨匠たちと呼応する。しかし、その否定しがたい美的な類似性以上に横田を先駆者に最も接近させているのは、新しい写真言語をつくり出そうとする彼の不断の試みだ。
中平や森山は、身の周りで起きている激動を捉え、それを反映する新しいラディカルな写真言語をつくり上げるために、既成の構造や枠組をたたき壊し、写真をその根底まで揺るがした。一方、横田はそれとは全く違う方向に写真を探求する途を求めた。彼の作品は、社会的あるいは政治的なものではなく、個人的で感情的なものが契機となっている。それは、稀に見る説得力のある方法で、感情と衝撃の両方を解釈することが出来る能力と豊かな感受性の証左である。
本作品のタイトルは、横田が2007年に日本北部の青森県を旅した時に遭遇したイチョウの木に由来する。垂乳根として知られるその木は、樹齢千年を超えると言い伝えられる。その木の名前は、日本語では文字通り「垂れ下がった乳房の根」と訳すことができ、その繁殖を高める力のために、世代を超えて女性たちによって崇められてきた。
『垂乳根』は横田の生における女性への、またおそらく愛情そのものへの叙情詩である。それは8年前に北を旅した際に広範囲にわたり撮影された作品と、彼のプライベートな空間や瞬間をとらえた近年の写真から構成されている。アラキの『センチメンタルな旅』 (1971) や『我が愛、陽子』 (1978) から深瀬昌久の『洋子』 (1978) や『鴉』 (1986) まで、日本の私写真の伝統に従いながらも、横田の最も深く個人的でノスタルジックなプロジェクトとして、本作はこれまでの作品からの大きな逸脱を示している。
『垂乳根』は、先達の作家とは異なり、より多義的でつかみどころのない感情と感覚の欲動に衝き動かされたものだ。母性的な愛情への希求は、欲情と欲望へと発展する。少年の夏の日のべたつく湿度の感覚が、数十年後にホテルの寝室で再び蘇る。『垂乳根』は写真集であると同時に、音と匂いの本でもある – それは日本の大きな伝統に新鮮な空気を吹き込む、私たちの全感覚の高まりである。
ーマーク・フューステル (ライター/キュレーター)、後書きより
(翻訳/白石善行)
- 判型
- 216 × 279 x 15 mm
- ポスターサイズ
- 864 x 557 mm
- 頁数
- 160ページ
- 言語
- 和文、英文
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2015