未来の他者
現実の世界は、放っておくとあちこちに差異が生まれ、世界は常に非対称になってゆく。けれど写真は、この世界に対称性を取り戻そうと常に抵抗する。
この作品は乳児のフォトグラムである。フォトグラムはカメラやレンズを使わないで撮影する。カラー印画紙の取り扱いは完全な暗室で行う。だから赤ちゃんがどの位置で、どんなポーズをしているのか、現像して、像が現れるまでわからない。モデルになってくれたのは、生後2ヶ月から6ヶ月くらいまでの赤ちゃんたちである。
きっかけは、美術館で私の以前の作品を見た産婦人科の医師との出会いだった。ドクターから「赤ちゃんをテーマに作品を作ることに興味はありますか? 協力しますよ」と提案を頂いた。それから時々クリニックに通って、生まれたばかりの赤ちゃんを撮影させてもらうことにした。つい数時間前まで「この世界」にいなかった命と対面するのは不思議な体験だった。続けているうちに、こんなことを考えるようになった。赤ちゃんたちはどこから来たのだろう? 赤ちゃんたちが「この世界」に来る前にいた世界はどんな世界なのか? 自分もいつかそこに戻っていくのか。
最初のフォトグラムを現像した時、黒地に鮮やかな赤色の像が現れた。あまりに鮮やかな赤色だったので、半年くらいの間この赤について考えているうちに一つの仮説にたどり着いた。赤ちゃんたちがついこの前までいた世界、つまり「この世界の外側」はこんな赤色なのではないのか。
「この世界の外側」から「この世界」にやってきた生命が、黒字に鮮やかな赤い発色(ネガ像)で現れた。だとしたら、反対に「この世界」から「外側」を見るとどうなるのだろう? そう考えて作ったのが、白地にピンク色の反転像(ポジ像)である。「この世界」と「この世界の外側」。ここには、はっきりとした対称性がある。例えば、私が傍の人の写真を撮って、その写真を見るとき、そこにも「私がいるように、その人もいる」というシンプルな対称性がある。現実の世界は、放っておくとあちこちに差異が生まれ、世界は常に非対称になってゆく。けれど写真は、この世界に対称性を取り戻そうと常に抵抗する。
― 北野謙
- 判型
- 290 × 200 mm
- 頁数
- 68頁、掲載作品18点
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2021
- 言語
- 英語、日本語
- エディション
- 500