Alone Together
“私”から離れていく写真
『Alone Together』を見て気づくのは、すべての写真に人が写っているということ、
けれどもその人物像にふだん私たちが人と接するときの距離で撮られたものはひとつも
ないということである。そのことの不思議がさっきから私の心をとらえている。
多くの人影が遠くにいて小さい。水辺や空や岩場など、人のいない空間が画面の
大半を覆っており、はじめはだれもいないように思うが、よく見るとその一角にぽつんと
人の姿がある。
近距離で写されたものもあるが、それらはフォーカスが外され、像はボケている。
水中に飛び込む人や、走行中の車に乗っている人など、動いているために像が揺れて
ぼんやりしている場合もある。
ここから感じ取れるのは、ミーヨンに人間の存在感を際立たせようという関心は
まったくないということだ。むしろ胞子のように軽くし、宙に浮かばせようとしている。
そのことは街路に立つ人影を多重露光している写真に象徴的に現れている。複数の
人の姿が重なり、輪郭が溶けて、等価な存在として風景のなかに混じり込んでいる。
海や空や岩場が大きく写っている写真が多く見られるが、かといって人々がそれに
飲込まれているような感じは受けない。それは、距離を置きながらも、それらの人物に
目が凝らされているからだろう。尖った岩の上で日傘をさしている人。空高く上がった
ビーチボールを海の中に立って受けようとする男性たち。白い航跡を引いて旋回する
ボートに乗る二人組……。
ミーヨンはそれらの人影をじっと凝視し、写されている彼らもまた私たちにはうかがい
知れない遠い何かを見つめている。たくさんの人たちが黒いシルエットになって並んでいる
写真でもおなじで、彼らの視線はひとつのものに注がれている。
序文のなかでミーヨンはこのように書いている。
「大勢の人のなかにいると、 私 は 消えてしまう。
“無数の私”、“大きい私”のなかに。」
“私”が消えてしまうことに恐れがなく、むしろその状態を迎え入れようとしているように
感じるが、この言葉に接したとき、ひとつの思いが心のなかをよぎった。もしかしたら
この感覚は彼女が写真を通じて知ったものなのではないかとー。
何かをじっと見つめるとき、人はその見つめるもののなかに入っていく。ほとんど
気づかぬうちに対象物とひとつになり、自分が消えていく感覚を味わっている。
視線がむけられる対象は小さければ小さいほど、針の穴を通り抜けるように見る
集中度は高まり、“私”の消滅は達成されるのだ。
写真を撮るという行為は、撮られた対象を繰り返し見ることにほかならならない。
その反復により、“私”に拘泥する自分から解放され、世界のほうに歩みだしていく感覚を、
歓びとして体に刻み込んでいく。写真が本源的にもっているこの特質を、ミーヨンは
『Alone Together』においてひとつの思想として提示している。
大竹昭子
- 判型
- 216 x 303 x 17 mm
- 頁数
- 68頁
- 製本
- ハードカバー、クロースバウンド、一カ所両側観音開き
- 発行年
- 2014
- 限定600部
- 言語
- 英語、日本語