スカイフィッシュ
高橋宗正は2004年にart & river bank(東京)で開催した個展「hinterland」以来、"写真にしかできない表現"を追求してきた。高橋が満を持して刊行する『スカイフィッシュ』は、写真につきまといがちな「物語性」を排し、写真表現の力だけを推進力にして構成されている写真集である。
雪の火口湖に立つ人影、水の中を漂う細長い魚影、夜陰に舞う雪と戦ぐ木枝、雪を浴びる長髪の男、火山礫に停めた車と三人の男、蜘蛛の巣についた水滴......。なんの脈略もないかのように並ぶ写真は、6×6、35mm、デジタルカメラと複数のカメラが混ざり合い、フォーマットも縦、横とさまざまだ。
かつて高橋宗正にインタビューしたとき、憧れているアーチストとして、映画監督の宮崎駿の名前が出てきたことがある。
「作品はもちろんなんですが、宮崎駿さんの言葉が好きなんです。〈入り口は広く、出口は狭く〉であるとか〈本物をつくらなきゃいけない〉とか。『本物ってなんですか?』って訊かれた宮崎さんが『そんなものはわからない。本物は本物だよ』って答えているところなんか、すごいと思います。
ぼくの場合、『hinterland』を発表したときでも、身近な人はみんな拒否反応を起こすだけで、写真にかかわりのない友だちはだれも興味を持ってくれませんでした。アートだという提示の仕方自体が見る人を拒むというのでは、なんのためにやっているのだろう......。だったらいま目の前にいる人たちに向けて、作品をつくりたいと思ったんです」。
このような発言の一方で、写真集『スカイフィッシュ』を支配しているのは、瞬間や空間を切り取る写真ならではの視線と、激しい断絶の感覚である。また "現実らしさ"や"虚構性"を感じる写真も目を惹くことだろう。
大衆性を指向するかのような発言と、拒絶的にも見える写真の羅列。この二つは、決して矛盾しているわけではない。"アート"というジャンルや"文学"の物語性に依存することなく、写真が"写真それ自体"として自立することを目指し、写真以外では不可能な表現を模索しているのだ。それはまるで"孤独な綱渡り"かもしれないかもしれないけれど、写真を撮るということは、本来このようなことだったはずだ。
高橋宗正は、写真によって"物語を紡ぐ"という常識化した通念に立ち向かい、写真本来の力を取り戻そうとしているのである。
畑中章宏(編集者)
「スカイフィッシュ」
スカイフィッシュとは十数年前に、一部テレビなどでよく特集されていた架空の生き物です。それは現代のネッシーといったようなものです。
ぼくは当時、そんなものいるわけがないとは思いつつ、頭のもう一方では、そういった自分の常識を超えたものが存在するのかもしれないということに、とてもワクワクしました。ネッシーもサンタも宇宙人も本当はいないかもしれないけれど、もしかしたらいるのかも、と思える方が世界は楽しいかもしれません。
ぼくは産まれた時、地球が丸いことを知りませんでした。空が青いことも海がでかいこともカレーライスがとてもおいしいことも知りませんでした。 けれどいつの間にか知っていました。いつ知ったかは全く覚えていません。
そして同じことが今でも続いています。いろんなことを知り続け、いつの間にか世界のイメージは上書きされていくのです。
ぼくは写真を撮る時、アンテナを全開にして思考をパタッと閉じて、目に映るいろいろなものをじーっと見てみます。すると時にはノイズだらけの世界に、なんだかキラリと光るものが見えてくることがあります。土に埋もれる化石のように。ぼくはそれに近づき、フレーミングやコンピューターを使うことで少しずつその化石の姿を明確にしていきます。そうやって風景の部分でしかなかったものを切り取り、ツルツルに磨き上げると写真になります。
現実を見つめると同時に、その部分から繋がる不思議で美しくて興味深い世界を夢想すること。ぼくはこの写真で少しくらいその提案が出来ればと思っています。
もしよかったら写真を見てみてください。
高橋宗正
- 判型
- 205 × 270 mm
- 頁数
- 100頁
- 製本
- ソフトカバー
- アートディレクション
- 塚原敬史
- 発行年
- 2010