ニッチ東京
高梨は1950年代末より写真家としての活動を始めて以来、一貫して「都市」を主題に、様々な方法論を駆使し多くのシリーズを発表してきました。写真術における参与と観察の接合面を不断に探究しながら、本作で高梨は、田中純の生態学的視点を用いた都市の様相に関する分析と島田雅彦の小説『ニッチを探して』(2012年)から着想を得た「ニッチ」の探索を視座に、対象となる都市の変容自体に眼を向けるのではなく、無数の人の行為によって利用された事物の痕跡を集積することで、環境の輪郭を浮かび上がらせ、都市の「生態学的景観」を捉えています。
ある動物種の生存に対応した環境は種の「生態的ニッチ」と呼ばれるが、その生態的ニッチとは物理的環境ではなく、動物の行為があってはじめて見出されるような空間である。単なる建築物の集合体ではなく「生きられる都市」とは、現生人類の生態的ニッチであると言ってよかろう。生態学的景観とはこの生態的ニッチの表れであり、それを記述するには単に環境を客観的に、即物的に撮影すればよいというものではない。むしろ、「気配」こそが捕捉されなければならないのだ。
ー田中純「都市を占う」、高梨豊『IN’』新宿書房、2011年、p.139
1965年の「東京人」、及びその10年後に同様のスナップショットという方法論を用いて時代の変化の観察を試みた「東京人1978-1983」以来はじめて、東京という都市名を冠することとなった本シリーズはまた、抽象的な都市ではなく具体的な空間を見つめ直す試みでもあります。
近所の商人と客のやりとり 遊ぶ子供の甲高いさけび
いっとき聞こえる故郷のなまり、お年寄りの世間ばなし、そして
冷やかな庶民の笑いなどそんなひとの声のする
ニッチの響く空間を写し留め置こうと思った
スキマの溢れる場所をとどめおこうとした
ー後書きより抜粋
マチエールを無くしツルツルとした都市表層の「底なしの深さのなさ」を示した「ノスタルジア」、都市の身振りとしての囲いに「所有や欲望の表徴」を見出し、その裂け目を捉えた「囲市」の批評性を受け継ぎつつ、本作における写真家の身体と眼は、「生きられる都市」へより深く分け入り逍遥し、心理的な隙間とそこに示される人の気配のうちに、生息域の展開と共にある現代人の生き方をあるがままに捉えています。
- 判型
- H298 x W210 mm
- 頁数
- 112頁、作品点数 55点
- 製本
- ソフト・カバー
- 言語
- 和文、英語
- 発行年
- 2015
- エディション
- 200