地と記憶
北海道には歴史がない。この地に住む人から、ずっとそう聞かされてきた。大阪で生まれ、太古の人々が残した痕跡を間近で見てきた私にとって、それは不思議な概念だった。しかし、日々の暮らしを続ける中でその疑問は少しずつ薄らぎ、かつてここに生きた人々のことに思いを馳せることを忘れてしまっていた。ところが、コロナ禍に山を歩き、森に入り、海沿いを旅するようになったことをきっかけに、この大地にどんな人々が暮らし、彼らがどのように風景を作り上げてきたのかに興味を持つようになった。子供の頃、遺跡の上で遊んでいたことを思い出すと同時に、地とそれらが持つ記憶に想いを馳せる楽しみも思い出したのだ。
当たり前の話だが、ここ北海道にもはるか昔から人々が暮らしていた。それは2万年以上前とも言われ、本州島と大きな差はないと考えられている。ならば、歴史がないという概念は果たしてどこから生まれてきたのか。それは、開拓という名の下に作り上げられた新しい北海道としての歴史のことであった。広く、穏やかで伸びやかな北海道のイメージは、明治開拓期以降に人工的に生み出されたものであり、この北海道で長く暮らしてきた人々の歴史は、無いものとされてしまっていた。
大阪で歴史教育を受けた時、日本の中心はヤマト王権であったと教えられた。北海道島に住む人々は「蝦夷」と呼ばれ、辺境の地にいる人々というイメージを植え付けられてた。しかし、ここには、もう一つの国があったと考えるべき、大きな文化があった。オホーツク人と呼ばれる人々は、アムール川流域から北海道島へと渡り、中国大陸の唐やヤマト王権とつながりを持ちながら文化基盤を作り上げていた。海の民として暮らした彼らは、オホーツク沿岸を中心に暮らしの痕跡を広げつつ数世紀にも渡って営みを続け、そして消えていったという。その後、彼らの血はアイヌ民族へと受け継がれ、クマ儀礼をはじめとした多くの文化的習慣を残したとされている。
そんなオホーツク人の痕跡を追いかけるために、彼らがこの島へ上陸したという場所へ出向き、それを実際に体感してみることにした。海から島を見て、草地を歩き、川沿いを眺めた。住居跡に潜り込み、そこから見える海を眺めても見た。彼らがこの地で生きるという選択をしたその理由を知りたかったからだ。それらの日々は、かつてこの地を旅し、移り住むという選択をした自身の行為の理由を問い直す旅でもあった。それらの旅を続けていくうち、北海道のイメージが自分の中で大きく変貌を遂げていった。ここは、あらたな文化が生まれた交わりの地であり、遠くの世界との繋がりを実感させてくれる場所だったのだ。オホーツク人の痕跡は、現代に生きる私たちに、文化の緩やかな繋がりを教えてくれていた。
― 中西敏貴
今回の作品は自然風景写真で積み重ねてきたキャリアをもとに、考古学、文化人類学を視野に入れた作品です。
テーマはオホーツク人。一般にはあまり知られていませんが、5世紀から9世紀まで北海道北部の沿岸部分に暮らしていた海洋漁猟民族です。同様の文化は南千島、樺太の沿岸部にも見られ、海を渡って狩猟文化を育て、交易を行っていました。オホーツク人は歴史の表舞台から姿を消しましたが、近年の研究でアイヌ民族と共通するDNAを持つことが明らかになっています。中西は北海道の撮影を続けるうちに、オホーツク人の遺跡が北海道北部に数多く遺されていることを知って関心を持ち、撮影を始めました。研究者の協力を求めてオホーツク文化についての知見を深めるとともに、はるか昔に存在した民族の痕跡をどのように写真で表現するかを模索してきました。― IG Photo Galleryで開催された同名展覧会情報より抜粋
- 判型
- 230 × 300 mm
- 頁数
- 160頁
- 製本
- ハードカバー
- 発行年
- 2024
- 言語
- 英語、日本語
- ISBN
- 978-4-908526-56-5