日本の写真開祖の一人(1823-1914)。日本人初の営業写真師は鵜飼玉川(うかいぎょくせん)の方がわずかに早いが、横山松三郎、臼井秀三郎、鈴木真一など多くの弟子を輩出した開祖と呼ぶべき人物です。伊豆下田に生まれ、13歳の頃に画家を目指し、江戸狩野派絵師・狩野董川(とうせん)の弟子となり、董圓(えん)の号を得るまでに至ります。絵師としての生活で写真と出会います。1859年に横浜が開港すると、アメリカの貿易商ショイヤーと関わり、その妻や宣教師の娘「ラウダ」に油彩画の手ほどきを受け、アメリカ人写真師ジョン・ウィルソンから写真技術を学びます。1862年に開業するも、当初は技術的な面や薬剤の調合などが難しく苦労します。やがて技術も安定し、同年中に弁天町に写真場を増やすと『横浜奇談』(1864年)に写真師として唯一載るなど知名度を上げていきました。馬車道をはじめ2軒の支店を出し、1875年頃まで写真師として第一線で活躍しました。その後は東京・浅草へ移り、写場背景画の制作をする傍ら多くの日本画作品を制作し、写真とは異なる手業の画面制作へ情熱を傾けていきま