瞽女 #7
瞽女 #7
1972年3月から1973年5月まで「長岡瞽女」を撮影した。瞽女の金子セキさん(60歳)と中静ミサオさん(60歳)、そして手引きの関谷ハナさん(61歳)は越後の村里を三味唄で門付けして旅稼ぎをしていた。三人は三島郡越路町の実家から旅に出た。
新潟県北魚沼郡、南魚沼郡など、小出、小千谷、長岡、出雲崎など三島郡、柏崎など刈羽郡である。歩きなれた土地には「瞽女宿」「昼宿」が決まっていて、年に二回ほど世話になるのだった。土地の人は親しみをこめて「瞽女んぼさ ようこらしたのし」と声をかけるのだった。門付けは民謡を唄い、湯治場などて求められると「くずの葉」などの段物を語った。稼いだ米は5升にもなると重いので、村の入口の商店で買ってもらい、1000円ほどの代金から今夜の宿へ「麦粉」を買うのだった。
私は盲目の瞽女さんたちの旅の暮らしと、それを受け入れて来た越後の風土、4月の二度目の撮影行では、出雲崎在の上条の村で別れしな、「ハシモトさん、千円くれんかのう」といった金子セキさん、人々の暮らしの中で生き続けてきた生活者としての「瞽女」を撮りたかった。
― 2013年5月 橋本照嵩
- 撮影年
- 1972、プリント制作年:2021
- ゼラチン・シルバー・プリント
- ペーパーサイズ
- 279 × 356 mm
- イメージサイズ
- 217 x 320 mm
- エディション
- #1/5
- プリントの裏にサイン & ナンバー入り
- 未額装