濡れた地面はやがて水たまりに変わる
福島県須賀川市出身の村越は、東京に拠点をおきつつ、2006年以降故郷を被写体に選び、静謐でありながら力強い風景の中に、そこで過ごした自身の記憶をなぞるように継続的に撮影を行っています。「自身の生まれ持ったモノやコトを削りとり、最後に何が残るのかを追求」する朴訥ともいえる写真行為は、確かな強度を備えた写真群として結実し提示されています。
写真を撮り続けることで生かされ、夢見ることで削られ奪われる、
竜巻のように吹き上げる力と渦巻きのように吸い込まれる力。
その二重螺旋が世の中で起こる現象と育んできた心象とを繋ぐ。
また写真を撮ることは取り返しのつかない過去への祈りであり、
新しい物語を紡ぐ糸口でもある。
-村越としや
2011年に発生した東日本大震災と原発事故は、郷里の風景を特異な場へと変容させました。前書タイトル『沈黙の中身はすべて言葉だった』は、災害の傷跡癒えぬ場所に佇み、撮影を続けていくことの意味を巡る問いの果てに、地元を撮っていくことこそが自身にとって紛れもない写真であると再び確信していく写真家の姿勢とその胸中に巡るものを示していると言えます。本書タイトル『濡れた地面はやがて水たまりに変わる』では、露出した「沈黙の中身」は地面に零れ、染み込む隙間を失いやがて溢れていきます。過去への思いを抱きながら、現在を揺るがず見つめる村越の視点を通じて、見知った地方の風景の中に新たな拡がりを窺うことができるでしょう。
― 出版社説明文より
- 判型
- 254 × 182 mm
- 頁数
- 96頁、掲載作品46点
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2018
- 言語
- 英語、日本語
- ISBN
- 978-4-908526-24-4